2024年西念寺報恩講 法話 海法龍氏(横須賀市長願寺)
親鸞聖人が出遇った仏教
親鸞聖人の出遇った仏教というのは、一体何だったのか。お釈迦様の語った教えは沢山あるわけですけど、その中で親鸞聖人が出遇って、選び取っていかれたのは、「浄土教」という仏教です。浄土教は「南無阿弥陀仏」を主とした教えです。私たちが「南無阿弥陀仏」のお心をいただいて生きるというところに、私たちの人生が本当に定まっていくということを伝えていくわけです。そのお経が「大無量寿経」というお経なんです。

何で「南無阿弥陀仏」なのか。「南無阿弥陀仏」のことを「名号」と言います。「南無阿弥陀仏」によって、私たちの生活、人生がそこに定まっていくとおっしゃっているんですね。定まることを「正定」と言います。生き方が定まる。生活が定まる。自分たちがどういう歩みをしてきたのか、私たちの歴史を見る眼ですね。そこに定まってくる。それを「業」と言います。仏教の言葉で「正定業」です。
「説法」と「聞法」
「南無阿弥陀仏」ということは、私たちに人生が定まってくるということを示してありますが、「南無阿弥陀仏」というのは、そこに「願い」がある。経典というのは、文字だけども、言葉なんですね。お釈迦様のお言葉が納められているわけです。その言葉は誰もいない所で語ったりはしないんです。やはり、そこには目の前に人がいて、そして語るわけです。説くわけです。説くことを「説法」と言います。お釈迦さんは何を伝えたかったか、それは、「法」を伝えたかったわけですね。
「法」と言っても、それは具体的にどういうことなのか。「物語」に表現してあるのが「お経」です。「大無量寿経」です。その「お経」のことを「教え」と言います。ですから、「説教」と言います。「法」を具体的に伝えるために「経典」がある。つまり「教え」があるということになります。それで、「説教」と言うわけですね。それは何のためにあるかと言うと、私たちがその言葉に「触れていく」ためにあるわけです。「触れていく」とはどういうことかと言うと、「聞く」ということ。ですから、それを「聞法」と言います。ここの場は「聞法」の場なんです。
南無阿弥陀仏の「願い」とは
「法」を伝えるために、「南無阿弥陀仏」という言葉があるんです。この言葉の中に何があるかと言うと、「願い」があるわけです。「願い」は何かと言うと、「法」に触れてほしい、「法」に出遇ってほしいという「願い」です。それを「本願」と言います。勤行本の7頁の一行目にあります。「本願名号正定業」。「本」です。「本」は何かと言うと、「元」です。人間の元、人間の本来ですね。そのことを伝えるために、「南無阿弥陀仏」の「名号」があるわけです。「名」は「願い」ですから。名前には「願い」があるわけです。皆さんの名前にも「願い」があるわけです。親御さんが付けていらっしゃったら、親御さんの「願い」がそこに表れているわけです。名前ってとても大事なことですね。私の存在そのものですよ。生まれる前に大概、名前は決めていらっしゃいますから、生まれる時は、願われて生まれてくるんですよ。