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本堂

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阿弥陀如来立像(江戸初期作)

聖徳寺から西念寺と改名された時に安置されたご本尊と考えられている。
なお、西念房が最初に開いた道場は、建武の兵乱(鎌倉幕府の滅亡)の巻き添えで焼失したので、伝えられていた宝物を聖徳寺(後の西念寺)に移したと伝えられている。

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親鸞聖人座像(江戸時代作)

親鸞聖人 1173〜1262年(90歳) 法然上人に遇い本願念仏の教えに帰依する。念仏門弾圧を受けながらも、人は必ず念仏によって救われることを説き、迷信に惑う人々を目覚めさせ、生きる喜びと力を与えた。

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開基西念房座像(鎌倉後期作)

西念房  1182〜1291年(108歳)
6歳の時、父(信州高井郡井上城主井上五郎盛長)が討死し、一門の多くが出家した。越後で教えを受けた親鸞聖人に従って関東に入り、生涯聖人を思いながら念仏をひろめた。

 

境内

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阿弥陀如来座像(平安後期作)

親鸞聖人が関東に来られる以前から、当寺に安置されていたと考えられている。県指定文化財。
阿弥陀仏の名を称えるものは必ず極楽浄土に迎えられると、平安時代後期から貴族の間で篤く信仰され多くの阿弥陀仏像や来迎図がつくられた。鎌倉時代以降、浄土の教えは武士や民衆の間にも広がった。

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聖徳太子像(室町時代作)

親鸞聖人、真宗門徒によって、この地の民衆の中に聖徳太子への尊崇の念が深まっていった。太子堂内壁には太子の伝記絵図が描かれている。

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鐘楼堂(堂本体は江戸中期造営)

平将門がここの鐘を持ち去り陣鐘に使おうとしたところ、「辺田村恋し」と響くので兵卒の士気が上がらず、寺に返したという。第2次世界大戦で供出され、現在の鐘は戦後に鋳造された。

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親鸞聖人お手植えの松

境内を覆うように茂っていたが、昭和53年頃に各地で猛威をふるった害虫により枯れ伐採された。今はその根元から孫の松が生え生長している。

近隣のみどころ

菅生沼

野鳥の宝庫。冬には白鳥もやってきます。観鳥台へは西念寺より車で約5分。

 

茨城県立自然博物館

宇宙の進化、地球の生いたち、自然と生命の不思議な営みをテーマとした展示と、楽しく自然に触れられる広大な野外施設があります。大人も子供も楽しいひとときを過ごせます。