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西念寺はその昔、聖徳太子の発願によって建立されたという伝説にちなみ、聖徳寺と称していました。9世紀に天台宗が開かれると、当山は南都(奈良)仏教を離れ、親鸞聖人が来られるまでの400年間、天台宗の寺でした。

1201年、親鸞聖人は京都の吉水で法然上人に出遇い浄土の教えに帰依されました。しかし、念仏門の勢力拡大を恐れた旧仏教界の訴えにより時の政府の弾圧を受け、越後(新潟県)に流罪になりました。

西念寺本堂

西念寺の開基である井上三郎貞親は、信州の一城主の家に生まれました。しかし、父親を戦で亡くし、生きる意義を求めて越後の親鸞聖人を訪ね弟子となり、西念という法名を賜りました。親鸞聖人は流罪が解かれた後、ここ関東の人々に念仏の教えを伝えに来られました。西念房も同行し武蔵の国野田に聞法道場を開きました。その当時、聖徳寺には西念房と同じく出家した弟の四郎義繁がいました。兄の縁で親鸞聖人の教えに遇い信証と法名を賜り、兄と力を合わせて聖徳寺を浄土真宗の教えを聞く道場としました。

親鸞聖人が約20年後に帰洛された後も、西念房は親鸞聖人の言葉に従い、この地で布教を続けました。本願寺3代の覚如上人が関東に来られた際にも存命であった西念房は、関東におられた当時の親鸞聖人の様子を伝えましたが、1291年、108歳で亡くなりました。

1642年、本願寺14代啄如は、聖徳寺を西念房ゆかりの寺として、西念寺と改めました。以降、廃仏毀釈等幾多の苦難を経つつ、常に今を生きる人々のための教えを伝える聞法道場として歴史を重ねています。