西念寺ご門徒の彫刻家・石崎義弘さんの個展が開催されます

坂東市在住で彫刻家の石崎義弘さんの個展が、ご出身の鹿児島で開催されることになりました。坂東市市役所の子育て支援課の前に展示されている石崎さんの作品をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

関東から距離はありますが機会がありましたらお訪ねください。

出逢えた歓び 石崎義弘彫刻展

令和6年7月30日(火)〜9月23日(月・振休)

公益財団法人  中村晋也美術館(鹿児島市石谷2366)

この度、西念寺の寺報に8年前(2016年)に掲載された石崎さんへのインタビュー記事を再掲載いたしました。ぜひご一読ください。

以下は2016年の西念寺寺報に掲載された内容になります。現在とは状況が異なる可能性があることをご了承ください。また、内容について直接ご本人に問い合わせることはご遠慮ください。

ご門徒の石崎氏が日展(日本美術展覧会)の審査員に選ばれました!

石崎義弘氏

西念寺ご門徒の石崎義弘氏(坂東市在住)が、彫刻の部で平成27年度の日展審査員に選ばれました。早速、2月6日にご自宅に伺いインタビューを行いました。

━━━審査員は、どのようにして選ばれるのでしょうか。

石崎義弘氏(以下、石崎氏) 審査員は、「改組新第1回日展」以降、その年の理事会で推薦され、「公正に審査する」などの誓約書を提出したうえで、正式に決定します。昨年7月に審査員に選ばれたことを、お盆のご挨拶に伺ったときに、西念寺さまへお伝えしました。

審査員に選ばれるには、特選を2回受賞(2004年度、2006年度に受賞)し、2回目の特選受賞の翌年の無監査出品を経て準会員(改組前は「出品委嘱」)になります。その後7年以上経過したものの中から、理事会で選出されますと、その年の年末まで務めます。また、通常、次に任命されるのは7年後になります。

━━━彫刻を始められたきっかけは、何だったのでしょうか。

石崎氏 出身地の鹿児島大学(教育学部)に入学した1年目は、絵を描いていました。その時に、後の文化勲章受章(2007年)の彫刻家、生涯の師と仰ぐ中村晋也氏に出会ったことでした。大学の空いているところにキャンバスを立て絵を描くために出入りするようになった或る日、師匠に、「集中講義で、木彫りをやるので、やってみないか?」、と声を掛けられたことがきっかけでした。彫刻そのものの魅力というより、先輩や師匠の情熱に魅せられて彫刻の世界に入っていきました。

━━━師匠の中村晋也氏とはどのような関係をもたれているのでしょうか。

石崎氏 師匠は、現代彫刻界を代表する作家で、鹿児島市内には、「大久保利通銅像」、「若き薩摩の群像」といった鹿児島のシンボル的な彫像を制作された方です。大久保利通公の彫像作りでは、当時、4年生で単位を全部とっていたので朝から晩まで師匠の家に通って、一日5,000円を頂きながら、模型の制作をしたりバランスを取ったりしていました。そこで貯めたお金で、師匠と一緒にヨーロッパなどに行きました。

薬師寺西搭には、中村晋也氏によって、平成27年に奉納された、「釈迦八相」のうち、悟りを開いた後の4場面を表現した4つのレリーフ(各高さ3.1メートル、幅4.7メートル)が安置されています。日本に伝来した仏像は西遊記にでているように、三蔵法師がインドから中国にもたらしたものです。中国から日本に伝わっている仏像はインド人の顔ではなく中国人の顔をしています。師匠は、薬師寺の仏像を制作するにあたり、当時のインド人のアーリア人の顔を求めて、実際にインドを取材したり、ネパールでは釈迦族を見つけると写真を撮っていらしゃいました。この取材の旅にも師匠に同行したことがあります。西念寺の前住職夫妻さまも辿られた、お釈迦様の歩まれた道を辿っての旅や、法相宗の開祖アサンガやバスバンドゥー(日本では、中国名の無著世親で知られています)の修行の場を訪れる旅です。また、ヨーロッパ(ギリシャ)文明と仏教が結びつき、仏像が生まれたとされる、ガンダーラ(現在のパキスタン、ペシャワル近郊)の美術館にも、師匠に同行して取材で訪ねたことがあります。ですから、師匠が作られた薬師寺にある4つのレリーフや十大弟子、アサンガ像・バスバンドゥー像は中国系のいわゆる仏像の顔はしていないのです。

最近、「連続テレビ小説『あさが来た』」で話題の「像(大阪証券取引所前)」も師匠の作によるものです。

━━━創作活動では、ご結婚の前後、長女の誕生(56歳の時)によって、作品への変化はありましたでしょうか

改組 新 第2回日展(2015) 作品

石崎氏 初めの頃は、裸婦像を手掛けていましたが、結婚してからは、妻をモデルにした着衣の像になってきました。そして、長女が生まれてからは、成長につれての変化を見るにつけ母子像が面白くなり、生後6ケ月の時に、題名を「ハーフバースデ―」として創作しました。今年の日展出品も、妻と娘をモデルにした母子像を制作しています。

━━━テーマはどのように決めますか。

2011年日展出品作品 「天を恨まず」

石崎氏 ごくプライベートな日常的な感情をテーマとして構成しています。2011年の日展出品は、ここにある像です。

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼市の2011年3月22日、階上(はしかみ)中学校の卒業生代表 梶原裕太さん(15歳) の答辞の言葉『天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく』を知って、感動したものを、形にしました。

━━━野田市の中学校の美術の先生をされています(2016年当時)が、どのような先生でしょうか。

石崎氏 「素材は用意するが、テーマは自由」という題材が多いです。テーマが決まるまでに苦しむことが大切な過程と思っていますので、このような指導をしています。

 

彫刻という芸術の世界には、全く知識が弱いインタビュアーでございましたが、大変貴重なお話しを伺えて勉強になりました。長時間ありがとうございました。

(インタビュー/文・構成:M.T.)