2022年西念寺夏季永代経 法話 本多雅人氏(葛飾区蓮光寺)

3年目を迎えてもコロナの流行が収まらない中で、今夏の永代経法要は前回同様、参加者を最小限にして挙行されました。法話の講師はお馴染みの本多雅人先生でしたが、今回は、特に『生きることの「意味づけ」・「価値づけ」をしなくても私たちの存在は既に尊い』ということを、様々なお話を通して丁寧に説いて戴きました。その中にはご門徒の大変感動的な体験事例など、興味深い話が多々ありましたが、紙面の都合で割愛させて頂きました。ご了承ください。(編集委員会)

以下は、2021年8月17日に西念寺の夏季永代経でご法話いただいた内容を、西念寺のおしらせ編集委員が、独自に抜粋および編集したものです。そのため、掲載された内容等について、御講師へ直接問い合わせることはご遠慮くださいますようお願いいたします。<西念寺より>

西念寺夏季永代経で法話される本多雅人氏

はじめに

BA5のオミクロン株は相当な威力がありまして、この辺もだいぶ増えているようでありますが、そういう状況の中で、東京では法事も人が少ないし、親戚関係とか、もう本当に疎遠になっています。成長期の子供達はどうなってしまうんだろうか、本当に関係の中でしか私たちは生きられませんので、関係性というのが崩壊していくということについて、非常に危惧をしてます。

今日は、コロナの中で大切な人を亡くされた方々がお集まりになってると思います。東京では、一年会えなくてご遺体で対面したという方もおられます。皆さん共通して言えることは、悲しくて、悔しくてしようがないから、葬儀を勤めながら、法事を勤めながら、この自分の苦しみを教えに尋ねようという形にだいぶ変わってきました。前からちゃんと教えを聞いてくださるご門徒は沢山いるんですけれども、「自らこの苦しみをどうにか乗り越えていきたい」というような気持ちが出てきて、教えを聞くようになったようです。そういう意味で、お参りをしながら、皆さん自身が誰にも代わることができない尊い “いのち”をいただいたので、本当にこの “いのち”をどういうふうにいただいていくことが大切なのかということで、今日は「生きることの意味づけ・価値づけからの解放〜存在の尊さの回復〜」という題を付けてお話させて頂きます。