2021年西念寺春季永代経 法話 光林忠明氏(坂東市西念寺)

「尊い」とは「喜び」

「天上天下唯我独尊」という言葉を今、「一人にして尊いんだ」ということに読み換えることが多くなりました。誰とも代えがたい大切な命を一人一人が生きてるんだと解説している本が今は多くなってしまっておりますが、では、皆さんは自分の命を「尊い」と思っていますか。「尊い」って言えるのは、「素晴らしい」ということですから、自分が今、生きてるってことは本当に素晴らしいことだ。ということは「喜んでいる」ということですね。喜ばないと「尊い」とは言えないんです。今、日本に限らず、世界中で、まかり間違えば、ミサイルでも飛んでくるんではないか、というような風潮になってます。ニュースによく流れるのは、アメリカの人種差別から始まったいろんな殺害ですね。沢山起こっています。日本でもそれに類したことがあります。小さなことで言えば、子供達の苛めから、セクハラ、パワハラ、皆もう、いがみ合って生きているのが現実でございまして、これ本当に喜んで生きてるのですかね。喜べる状況ではないですね。

「天上界」とは

今日、お集まりの方は身内の方を亡くされました。この本堂の壁際に掲げてある額ですが、「死んだわが子にいい処にゆくんだよと云う そういう私はどこへ行くんだらう」と書いてあります。大体、言いませんか。「いいとこ行ってね」って。「いいところ」ってどこなんでしょう。この頃、ニュース見てもね、「天国行った」と書いてある。時たま「草葉の陰」という言葉も出てきます。「あの世」も出てきます。子供達だと、「お星さまになった」という表現をしております。「天国」という言葉が、この頃もう普通に当たり前になってきてしまいまして、葬儀に行くと、仏教の僧侶がいて儀式したのに、「天国」って司会者の話に出てきます。「天国」が今、普通になってしまいましたね。「天国」って何?。考えたことありますか。日本でも「天の国」ありますよ。神様の国。中国にもあります。一般的にはキリスト教の「天」、イスラムの「天」。大体、私たちが連想する「天」は「天人のいる天」です。仏教では「天人」も人間界の一つです。「天人」と言わず「天上界」と言います。一番いい世界。人間から思い浮かべる「天」。これが、人間の思いが適った世界。ああなりたい、こうなりたい。すべて望みが適った世界。これを仏教では「天上界」と言います。人間の欲望で思い描いた世界です。皆さん、自分の願いがすべて叶った世界を思い浮かべてみてください。私もやってみようと思ったけど、これ難しいですよ。皆仲良く、金もあって、能力もあって、何でもあって、なんて考えてたら、周りに人がいなくなっちゃう。あの人がいなければいい。この人もいなければいい。自分の競争相手がすべていない方がいい。そうなってきます。人間の考えることは。ここから私たちは抜けられないんですね。ですから、お釈迦様の教えでは、六道輪廻、即ち「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人」「天」とありますが、「天上界」も六道輪廻の中。まあ、私たちは「有頂天」になることもありますが、これが「天」です。それで、ぱっと足を払われたら、地獄にまっ逆さまです。地獄のような苦しみ、悲しみを味わう。これを繰り返しているのが、私たち人間の生き方ですけれども、この「六道輪廻を超えたい」という願いが、出家者の願いになっているわけです。