どんな人の“いのち”も尊い <印象に残った法話の言葉より>
文:寺報「おしらせ」編集委員A
どんな人の“いのち”も尊い
「掛け替えのない“いのち”」「他者が代わることができない唯一無二の存在」という言葉で語られる「“いのち”の尊さ」はよく分かります。しかし、現実はどうでしょうか。私たちの周りを見ると、「“いのち”の尊厳」が踏みにじられている例が数多くあります。典型的な例は、テレビを付けるとウクライナの戦闘の様子が連日の如く放映され、人が居住する建物がミサイルで爆撃されて吹き飛んでいるシーン等を見せつけられます。これが戦争です。悲しいことですが、「“いのち”の尊さ」は微塵も感じられません。
しかし、「“いのち”の尊さ」を感じられる場面や場所があります。肉親や親しい人の死を弔うお通夜、葬式は正に「“いのち”の尊さ」を思い知らされる場面です。また、お墓の前に立つ時、更には、お寺の本堂の「御本尊」に礼拝し、手を合わせる時、「“いのち”の尊厳」の中に包まれる思いがします。お寺とはそういう場所だと実感します。
<編集委員A>